2013年01月27日

生活、小沢代表を決定 「もう一度政権奪取」

生活、小沢代表を決定 「もう一度政権奪取」
2013年1月25日 12:58 : 西日本新聞
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/345017


 生活の党は25日午前、結党大会を東京都内の憲政記念館で開き、小沢一郎新代表を正式決定した。小沢氏は記者会見で「もう一度政権奪取を目指す」と表明。大会では「消費税増税の凍結」「2022年までの原発全廃」を掲げた基本政策も了承した。28日召集の通常国会前に新たな体制を整え、夏の参院選への準備を進める。

 大会での就任あいさつで小沢氏は「衆院選で仲間を失い責任を感じている。思い悩んだが、非常な決意をもって代表の責任を果たす」と強調。参院選に関しては「自民、公明両党が議席を占めると、やりたい放題の政治が行われる」と述べ、参院での与党過半数の阻止を目指す考えを示した。

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2013年01月14日

日本は二度と政権交代が起きない国になるのか!

                                     日本一新の会・達増 拓也
                                            (岩手県知事)


 昨年12月の衆院選で、与党民主党は議席を4分の1に減らす大惨敗だった。これは、かつて自民党政権が長く続いた時代によくあった「お灸をすえる」というレベルを超えた圧倒的拒否である。57議席への落ち込みというのは、「民主党に愛想が尽きた」のはもちろん、「政権交代に愛想が尽きた」という民意であるかのような深刻な数字である。

 いわゆる第3極勢力も、最多が維新の会の54議席で、民主党に代わって政権交代の担い手となるにはまだまだの数字である。みんなの党の18議席、未来の党(当時)の9議席は、さらに少ない。

 しかも、民主党、維新の会、みんなの党は、それぞれ自民・公明と政策ごとに是々非々の姿勢をとる旨表明しており、野(や)党でも与(よ)党でもない「ゆ党」として与党補完勢力となる可能性がある。政権交代を本気で目指すのが、今は生活の党7議席とプラスアルファ数議席という情勢で、そこに見える景色は、次の政権交代の担い手が存在しないような世界である。

 日本は、2度と政権交代が起きない国になるのだろうか。「民主党による政権交代にはすっかりだまされた、もう政権交代はいらない、昔から政権を長く担ってきた党(自民党)がずっと与党でいればよい、牽制役の中小政党がいくつかあればそれでよい」・・・それが先の衆院選で示された民意なのだろうか。

 政権交代の効用は、政権与党が政策的に大きな失敗をしたり、許しがたい政治腐敗を露呈したり、あるいは国民が満足できるような統治の実績を挙げ得ない場合に、国民が現与党を拒否し、他の党にとって代えられるということである。いざという時に、国家国民が現与党を拒否できるように、他の選択肢が用意されていることが必要である。

 さらに、私は、政権交代を、政治発展のためのメカニズムとして位置づけたい。いざという時の「他の選択肢」である野党が、与党よりも先進的な政策パッケージ(それを「マニフェスト」と呼ぶかどうかは別として)を用意することにより、現与党がダメだからというより、野党のほうがより良い統治実績を期待できるから、という形のポジティブな政権交代のサイクルを作るべきだと思うのだ。

 私は、冷戦後の政治の中心的対立軸は、右と左の対立ではなく、前と後の対立だと考えている。市場メカニズムも大事だが、セーフティネットも重要である。充実した社会政策があってこそ、自由な経済活動が可能となる。グローバル化は雇用や生活のリスクを増大させる。個人の幸福追求は、自己責任だけの問題ではない、という傾向が強まる。様々なリスクを公的に担保する「生活保障」が、より重要となる。

 冷戦時代に対立するとみなされていた右の自由主義的政策と左の社会主義的政策を組み合わせていく必要があり、その組み合わせの妙を競い合うのが今日の政治のあるべき姿であろう。右と左の組み合わせで、よりよい政治のビジネスモデルを新しく開発し、そのイノベーション(技術革新)を競い合う、「前対後の政治」である。

 このような「前対後の政治」の下では、政権交代は、新しい政策パッケージの競争の結果、後にいた党が前にいた党を追い越すことで起きる。政権交代を繰り返すごとに政党は前へ前へと進歩し、政治全体も進歩する。

 今の日本に必要なのは、このような「追い越し」ができる党を、野党の側に育てていくことだ。

 与党も、進歩を目指し続けなければならない。しかし、与党というものは、政策の継続性の要請や政府組織内の慣性により、どうしても政策的進歩にブレーキがかかる。自然に遅くなる。やがて進めなくなる。

 だから、日本政治全体の進歩のために決定的に重要なのは、改革志向の優れた野党の存在である。「追い越し」ができる党、思い切って「前」に進むことができる党が必要だ。そのような野党がなければ、日本政治に進歩はなく、退嬰が続き、いざという時には、政治全体が崩壊する。

 私はそういう政党を日本に作らなければならないと思い、18年前から取り組んできた。今でも初志は変わらないし、今のような時こそ、その志を守らねばならないと感じている。日本を、「2度と政権交代が起きない国」にしてはならない。
                                                (終)

元記事リンク:日本一新の会。
 http://nipponissin1.blog136.fc2.com/blog-entry-224.html

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2013年01月06日

「日本一新運動」の原点―142 {平野貞夫妙観・「巳年」の平成25年に思うこと!}

                                日本一新の会・代表 平野貞夫妙観

 「メルマガ・日本一新」も、継続してご愛読いただいている維持会員をを始めとして、その他にも多くの人々のおかげで、3回目の新春を迎えることができました。あれよ、あれよと言ううちに「142号」となったものの、誠に残念なことに、世の中は私共の思いとは裏腹に進み始めたようです。「明けましておめでとうございます」と言いづらいところですが、反省もこめて、まずは新年のご挨拶を申し上げます。

 ◯ 「巳年」の平成25年に思うこと!

 私の人生の師・前尾繁三郎元衆議院議長には、いろいろなことを学びました。前尾先生が生涯を通して研究されたのは「十二支攷」の研究でした。遺稿は『十二支攷』(思文閣・全六巻絶版)で、研究の目的は「人間の本質の追究」でした。因みに「攷」は「かんが―える」と訓じ、「考」の同訓異義に分類されます。少し拘れば「考」は腰の曲がった年寄りの象形で、「攷」には「うつ・叩く=調べる」とする字義があり、「より深く考える」という意を込めて「攷」を用いられたと思います。同書には『十二支攷』別冊を編み、そのなかに「前尾学について」を私が詳述していますので、機会があれば参照してください。昭和時代にはこういう政治家がいたのです。

 この『十二子攷』のなかに、「二匹のへび」という随筆があります。その要旨を紹介して「巳年の平成25年」を「攷える」ことにします。

 前尾先生が大正時代の終わりの頃、旧制高校時代に読んだ書物に紀平博士の『哲学概論』があります。本の内容にはまったく記憶がないとのことですが、表紙に描かれた「二匹の蛇が輪になって、食べ合っている図」が非常に印象に残っていたようです。「食べ合ったらどうなるか」との設問があり、次のような回答があったとのことです。

 @ 不変不動と考える。(プラトン)
 A 永久の動と考える。(アリストテレス)
 B 互いに食べてしまうから無くなると考える。(無神論者)
 C 互いに食べ合うから無限に大きくなると考える。(ヘーゲル)
 D もし、蛇に大小・強弱があるとの条件を入れると、小は大に、弱は強に食べられると考える。
   (ダーウィン)

 さて、日本一新の会の皆さんならどう考えますか。前尾先生は、この話の続きとして、マーキュリーのギリシャ神話「ヘルメスの蛇」の話をしています。ヘルメスはある行為の御礼に、アポロから一本の魔法の杖をもらった。この杖は不和を調停し、論争を宥和し、対立するものを調和する力があった。ヘルメスはある時、二匹の蛇が闘っているのを見て、この杖の魔力を試みようとして、両方の間に差し入れたところ、二匹はすぐその争いを止めて、仲よく杖に巻き付いた。ヘルメスは大いに喜んで、二匹の蛇に永久にそのままの姿であることを命じ、どこへ行くにも、この杖を携えることにしたという。

 前尾先生が、この「二匹の蛇」の話を随筆にした理由は、「政治の本質」についての見識によるものです。名著『政の心』(昭和48年・毎日新聞社)で、「政」の文字の語源を「正義」と「力」と分析したうえで、「力」のない政治は即ち、礼=秩序のない政治で混乱あるのみ、「正義」のない政治はもはや政治とはいえない、と断じています。そして、現代の国家社会の中での争いや対立を調整し調和する「ヘルメスの魔法の杖」に、議会民主政治を夢見ていたのではないかと思います。

 しかし、21世紀の現代、世界のどこに行っても議会民主政治が「ヘルメスの魔法の杖」の役割をしている国はありません。おそらく、人類は「二匹の蛇」のギリシャ神話を忘れ、現代のような混乱となったのではないでしょうか。平成25年の「巳年」にあたり、是非、ギリシャ神話を思い出していただきたい。

 ◯ 21世紀の「二匹の蛇」とは何か!

 第2次世界大戦が終わり、20世紀後半の世界政治の「二匹の蛇」は、資本主義を正義とする米国と、共産主義を正義とする「ソ連」であった。そして20世紀末には米国中心の資本主義の蛇が、ソ連中心の共産主義の蛇を呑み込んでしまった。そして世界平和と繁栄は資本主義によってもたらせると期待された。共産圏が崩壊したのは、その原点である平等や共助・公助が忘れられ、官僚国家になったことにある。かくして市場原理の中でもっとも過激な排他的競争という「蛇」が出現する。

 20世紀末になると、技術の発展による世界のグローバル化と高度情報社会化が一挙に進み、資本主義は変質していく。実体経済を無視したマネーゲームによる金融資本主義は、健全な資本主義を変質させていく。そして21世紀になると、資本主義はマルクスもケインズも想定しない形態に陥り、国家資本主義体制となる。米国をはじめ、先進諸国は無論のこと、中国もまた同じである。金融資本主義が崩壊・変質していく典型的な例が、2008年(平成20年)に米国で起こったリーマン・ショックであった。

 21世紀の「二匹の蛇」は、国家権力など官僚と結びついたマネーゲーム資本主義を原点とする「国家資本主義」という「蛇」と、民衆の福寿が国家社会の安寧を原点とする「国民資本主義」という蛇の食い合いとなった。日本では平成21年8月の総選挙で民主党が政権公約したのは、「国民資本主義の実現」であった。国民の圧倒的支持をうけて、歴史的政権交代を成し遂げた。しかし、菅・野田と続く民主党政権は、官僚と財界の支配に屈し、「国家資本主義」の政治に転向した。東日本大震災・福島原発事故という大惨事のさなかに民衆を裏切った。否、もともとこの理念を理解していなかったのかも知れない。

 それ故に、昨年11月の衆議院解散は、野田民主党政権の「自爆テロ解散」であった。結果は民主党の壊滅的崩壊と、自民党の圧勝、そして公明党との連立政権で、衆議院の議席3分の2を超える325の勢力となった。これは憲法で衆議院の再議決ができる数である。戦後最低の投票率、59,4%であったこと、自民党が獲得した比例票は全有権者の16%であったこと、反民自公票の第三極が分散したこと、巨大メディアの謀略的報道など、選挙の実態にはさまざまな不条理があるとはいえ、安倍自民党総裁が勝ったことは数字が示している。

 暮れの12月26日、安倍第2次内閣がスタートしたが、安倍氏は就任に先立ち、日銀に対して金融緩和を要請し、大型補正予算の編成、消費税大増税の実施を前提とする政策を提示した。また、原発再稼働を示唆するとともに、原発の新・増設すら匂わせつつ、TPP参加にも柔軟性を示し始めた。これらは、マネーゲーム・国家資本主義の展開であり「二匹の蛇」の弱肉強食の政策そのものである。真に国民のためになる不況対策や雇用対策は大事である。しかし、それを口実にして、外国のヘッジファンドたちによる「アベノミックス」を狙ったマネーゲームが始まった。これで世界経済はマネーを求める蛇の力が強くなろう。そして民衆の福寿はこの蛇に食い尽くされていく。

 肥大化した「マネー蛇」の運命はどうなるのか。恐らく自分を食い尽くすことになろう。かくして人類は滅亡していくのかも知れない。日本人は暮れの総選挙でこの道を選んだ気がしてならない。資本主義の本質は不安定であることだ。この気まぐれの資本主義を歴史の中では人間の英知で調整し管理したこともあった。「リーマン・ショック」以降の金融資本主義の暴れようは只事ではない。早急に「ヘルメスの魔法の杖」をつくらなければならない。

 きわめて困難なことであるかも知れないが、人間には「共生」という理性があったことを思い出し、真の議会民主政治を確立させることであると思う。


追記
 ☆本号は無限拡散希望につき、転載許諾を必要としませんので、お取り扱いをよろしく
  お願い申し上げます。
posted by メジナオトト at 10:15| Comment(0) | 日本一新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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